ケンジックスの「鏡の法則」
「鏡の法則」とは
今日は「鏡の法則」について、書いてみます。
- 世界は鏡だ。
- 自分の身の回りの人や環境は、自分を映す鏡です。
- 自分が先に笑わなければ、世界が微笑み掛けてくれることはない。
なんて、言われていますよね。
ここからは僕が考えていることです。
この鏡は、ただ「自分のそのままを映し出すわけではない」んじゃないかと。
きっと、「自分の性質を強調して自分に見せてくれる」鏡に違いない。
例えば、「何でも人のせいにする人」が身近にいたとします。身の回りの人が自分の鏡だというなら、この「何でも人のせいにする人」というのは自分ってことになる。
「いや、 自分は何でも人のせいにした発言、こんな腹立たしいことを人に言ったりしない。」と思っちゃうんです。
じゃあ、鏡の法則はないのか、それともいつでも法則が働いているんじゃなくて、特定の条件で働くものなのか?
いや、そんなことはないだろうと。鏡の法則自体は存在を感じますし、時々働く法則なんてないだろう。
そこで、考えたのは、「口には出さなくても、そういうこと(人のせいするようなこと)を思ってはいるんじゃないか?」。つまり心の中で人のせいにしたり、「 あいつはこういうところがダメだ」なんて批判したりしていることはないですか?
はい、あります。
そうか。心の中で批判していることを鏡で映し出されても、よく身の回りの人を観察している人じゃないと、気付かないもんね。なかなか気付かないでいると、自分にそのことを気付かせるために、身近な人は「強調して見せる=口に出して言う」ことになるんだと気付いたのです。
だから、みなさんも身の回りに「嫌だな」って思う人がいたら、自分にその嫌な部分に通じることがないか探してみましょう。きっとあります。
でも、「あんな人と同じだなんて・・」と落ち込むことはありません!
その嫌な人は、あなたに気付いてもらうために、あなたの一面を強調して見せているだけなのですから。
「人の振り見て我が振り直せ」は鏡の法則のこと?
「人の振り見て我が振り直せ」という有名な諺がありますね。
意味はご存じだと思いますが、辞書を見ると、「他人の行動を見て、良いところは見習い悪いところは改めよということ。」と説明があります。
「他人」と聞くと、普通は不特定の無関係な人のことを思い浮かべると思います。でも、本当はどこかの関係ない人のことではなく、身近な人のことではないかと思うのです。
これまでお話したとおり、身近な人というのは自分を映す鏡です。「その鏡を見て、自分の至らないことに気付き、 直しましょう!」というのが本当の意味だろうと私は思っています。朝、 鏡を見て身だしなみを整える、それと全く同じことを言っているんじゃないだろうか、と思うのです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。